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脚本の妙、役者の技-「12人の優しい日本人」- [movie]


12人の優しい日本人 [DVD]
先日見た「Q.E.D 証明終了」の最終回、天才少年 想が裁判官に向かって言った言葉、「立証責任は検察にあり、裁判官及び裁判員は提出された証拠でのみ判断する。それが裁判の鉄則です。」と。

これを聞いて真っ先に思い出したのがこの「12人の優しい日本人」でした。かなり昔に見たものですが、強烈な印象があってずっと心に残っていたものです。

で、冒頭の想のセリフを聞いて、この映画がどうしても見たくなり再視聴。

優柔不断で自分の意見を持たない、データを羅列することはできてもそこからロジックに自分の考えを組み立てられない、感情だけで突っ走り意見を聞かない、空気が読めない、上から目線バリバリで人に言うことをきかせたい、当たらず障らずでごまかす、人間的に一癖も二癖もある人ばかりが集まったように見えた陪審員たちが、有罪・無罪を考えるうちに、推理で事件の真実にたどり着く。

誰かが名探偵なわけではなく、誰もが気になったピースや知識を集めて組み立てていく様は、学園祭の準備をしているのと同じような妙な高揚感があり、真実(と思える推理)が見えたときには達成感すら感じるくらいで。

実際はあり得ないしあってはむしろ可笑しい話でしょうが、これを観た当初は陪審員制度って悪くないじゃん、と思っていたのは確かです。
なんと純粋だったことか。
想(「Q.E.D」)からすると、裁判員が自ら立証しようとするのは、話が違うわけですね。
とすると、提出された証拠だけを検証したら、この映画の被告女性は有罪になるのでしょうか。

で、これが三谷作品であると知ったのはまた後日のこと。
実はわたくし、あまり三谷作品を観ていません(意識しては)。
特に昨今のは、笑いもしんみりもそのさじ加減がわたくしから微妙に観る気力を奪っていくのです。
多分、その気になったときには観るのでしょうが。

ただ、この映画は本当に好きでした、というか今でも好き。
陪審員たちの姿はそのまま役者さんたちの丁々発止に見えて、本当にすごいなぁと。
ほとんどが一部屋の中で進んでいくのに観ていて飽きない面白さは、人間描写の妙であると勝手に思っております。
それを絶妙の濃さで演じる役者さんたちも凄すぎますが。

何度見ても素直に面白いと思える作品のひとつです。

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